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「わたしもあなたを罰しない」

日曜日の朝の礼拝で語られたメッセージ、本当に心に深く響きました。

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このストーリーは、一人の女性がイエス様の前に連れてこられるところから始まります。女性を引っ張って来たのは、法律家や学者たち。この行動の裏には、2つの理由がありました。

① この女性を罰するため。

実は、姦淫の罪(夫以外の人との不適切な関係を持った不貞の罪)を犯した女性だったのです。十戒(神様が人間に守るべきこととして与えられた約束)には、姦淫してはならないとはっきり書いてあります。また、その当時は姦淫の罪を犯した場合、石で打ち殺すようにと決められていました。それゆえ彼らは、不貞を犯したこの女性を裁こうと連れ出して来たのです。

② イエス様を言葉の罠にかけるため。

彼らは、イエス様が疎ましかったのです。愛と赦しを説くイエス様を、「何とかして負かしてやろう、揚げ足を取ってやろう」・・・そんなふうに思っていたのです。この彼女を石で打ち殺すことに対して、もしイエス様がYESと言えば「いつも説き明かしている愛と赦しはどこへ行ったんだ!」と責め立て、NOと言えば「十戒に反すること、法律に背くことを言うのか!」と問いただす、どちらにしてもイエス様を窮地に追い込めると考えたのです。

しかし、イエス様の答えは、こうでした。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」ヨハネ 8:7

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その答えを聞いた彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き(ヨハネ 8:9、最後にはイエス様と彼女だけがその場に残りました。あんなにも威勢が良かったのに、彼らはいったいどうしてしまったのでしょう。・・・彼らは、気づいたのです。「自分にも罪がある、そんな自分に彼女を裁く資格などない」と。

そう、罪を裁く資格など、人にはありません。人は誰もが罪を持っているからです(聖書には、良くないことを心で思うだけでも罪だ、と書いてあります)。ただ神様だけが、その資格をお持ちです。なのに、「この人は裁かれるべきだ」などと言うのは、あたかも自分が神であるかのような思い上がりに過ぎません。そのことに気づいた彼らは、自らを恥じ、その場を立ち去ったのです。

イエス様は、その場に残された女性に言われました。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」(ヨハネ 8:11

その場にいた中で、ただイエス様だけが彼女を裁くことのできたお方でした。でも、「わたしもあなたを罰しない」と言われたのです。なぜなら、イエス様がこの世に来られたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うため(ヨハネ 12:47だからです。イエス様は、彼女の罪を、またそれまでの後悔ばかりの人生を、十字架によって完全に赦し、解放してくださいました。それゆえに、彼女の人生は全く新しく変えられたのです!

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イエス様の愛と赦しは、私たちにも注がれています。イエス様の愛を受け取るとき、あなたも光の中に生きることができます。全く新しい人生をスタートすることができるのです。そう、この罪赦された女性のように。。。

わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。(ヨハネ 8:11

Then neither do I condemn you," Jesus declared. "Go now and leave your life of sin. (John 8:11)

わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。(ヨハネ 8:12

I am the light of the world. Whoever follows me will never walk in darkness, but will have the light of life. (John 8:12)

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あなたの人生が、イエス様の光で照らされますように♪

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メッセージ」カテゴリの記事

コメント

わたしも昨日のメッセージとっても心に響きました。
昨日の朝、何とも言えない脱力感におそわれて、教会に行きたくない!!って思ってしまいました。あんなに近いのに・・・(^^;)
なぜだか分からないけど、全てから逃げたい気持ちになっていました。神様なんていいひんのちゃう!?何で信じてるんや!?と突然疑問を抱いたり、誰かにすがって泣き叫びたい、そんな状態でした。そんな弱い自分をますます許せず、悔しくて神様の前に恥ずかしく思って、こんなん神様の前で祈れへんわ!と悶々としていました。

でも、教会に行かないともっと酷くなりそうだと思って、重た~い気持ちであの坂を上りました。

そして、礼拝堂に入ると、賛美の中にイエス様が働かれてるって強く感じました。
これがイエス様の臨在?やっぱりほんまにいはるんや!!とっても単純だけど、弱ってるわたしの心に神様が少しずつ働いてくださってました。
メッセージの中で、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。(ヨハネ 8:11)」って小平先生が読まれた時に、胸が詰まりそうになりました。何とも言えない嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
こんなに弱くて罪だらけのわたしのことをも、罰することなく、愛してくださってるのだと。

イエス様ごめんなさい。毎日悔い改め、あなたに感謝するのみです。

わたしの思い煩い全てをイエス様は共に負って一緒に歩んでくださるんだって信じる事が出来ました!感謝します☆

長くなってごめんなさい(><;)

投稿: まなつ | 2007/11/13 00:01

>まなつ

イエス様の愛を、体いっぱいに感じられてよかったね☆
いつも私たちの必要を満たすためにみことばを与えてくださるイエス様に感謝!

わたしはあなたを忘れない。(イザヤ 44:21)
私がイエス様に向き直った、私にとっての衝撃的(笑)みことばです。
私たちの状態がいかにあっても、あなたを忘れないと言ってくださるイエス様。
もう絶対離れないっっっ♪

投稿: nizzy+ | 2007/11/13 00:15

イエス様は愛ですね。愛は赦し、いやし、救い、、すべての要素をもっています。罪人を批判するのでなく、私もあなたを罰しない。いつもそんなイエス様の赦しの声を聞いて生きて来たように思います。

まなつさんも、生きておられるイエス様によって力づけられてよかったですね。

Only Jesus can satisfy My soul.という賛美が昔歌われました。歌うたんびに、ほんま、そうやなあと実感したものです。

nizzy+さん。書き込みありがとう。おかげで元気に回復しました。サンキュ!

投稿: 大隅のただ | 2007/11/13 15:30

>大隅のたださん

裁きではなく、赦しを与えてくださるイエス様に感謝です。
イエス様によって、私自身も、裁く者から赦す者へと変えられたいと願います。
「多く赦された者は、多く赦す」アーメン!!!

少しタイミングがズレましたが、お元気になられて良かったです!
寒さに向かいます。温かくしてお過ごしくださいね☆

投稿: nizzy+ | 2007/11/18 00:47

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