木曜集会で語られたメッセージをシェアします。
放蕩息子のストーリー。知らない人のために、ちょっと書くね。
あるところに、一人の男性がいました。それなりの財産を得ていたのでしょう、使用人や家畜、着物や装飾品も多く持っていました。彼には、二人の息子がいました。そのうちの一人、弟の方が遊ぶ金欲しさにこう言いました。
「お父さんが死んだときにボクがもらえるはずのお金、今すぐちょうだい!」
生きた人に対して遺産の取り分を請求する。しかも遊ぶ金欲しさに。失礼極まりない申し出にも関わらず、父はその通り彼に遺産の半分を与えてやりました。
遺産を手にした息子は、意気揚々と家を後にしました。街へ出て行き、手にした遺産で豪遊しました。しかし、浪費に浪費を重ねた結果、たくさんあったお金も、あっと言う間に底をつきました。
ちょうどその頃、息子のいた地域で不作が続き、お金を持っていない彼は食べるものにも困るようになりました。生きるために働こうにも、不況の中で雇ってくれるところなんてありません。やっと見つけた仕事は、家畜小屋の世話係でした。家畜の世話をしながら、あまりの空腹に家畜の餌にまで手を出してしまいそうになりながら、息子は思ったんです。
父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください。(ルカ 15:17-19)
How many of my father's hired men have food to spare, and here I am starving to death! I will set out and go back to my father and say to him: Father, I have sinned against heaven and against you. I am no longer worthy to be called your son; make me like one of your hired men. (Luke 15:17-19)
遺産をせびって家を飛び出し、散々浪費した挙句にどうしようもなくなり、家へ帰る。あまりにも勝手すぎる行動。「今さら帰っても・・・受け入れてもらえるだろうか・・・」息子は不安だったに違いありません。
でも、
まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。(ルカ 15:20)
while he was still a long way off, his father saw him and was filled with compassion for him; he ran to his son, threw his arms around him and kissed him. (Luke 15:20)
それだけじゃないんです!
父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。(ルカ 15:22-24)
the father said to his servants, 'Quick! Bring the best robe and put it on him. Put a ring on his finger and sandals on his feet. Bring the fattened calf and kill it. Let's have a feast and celebrate. For this son of mine was dead and is alive again; he was lost and is found.' So they began to celebrate. (Luke 15:22-24)
これが、父の愛です!!!
さて、前置きが長くなりましたが、今日の本題はここから。
弟息子の「おかえりパーティー」を開いているところに、その兄が帰ってきました。賑やかな様子にビックリ。使用人に「何事だ?」と聞くと、「あなたの弟さんが帰ってこられたんです!お父様ときたらそれはもうすごい喜びようで、今みんなでパーティーをしているところなんです!」・・・なんだって!?パーティー??
訝しげに思いながら中へ入ると、父が兄を見つけてこう言います。「嬉しいニュースがあるんだ!弟が帰ってきたぞ!もう死んでしまったんじゃないかと思っていたのに、帰ってきたんだ!いや~、嬉しいねぇ。今みんなでパーティーをしているから、お前も一緒に喜び合おうじゃないか!」
喜びを爆発させる父に対して、兄はこう言い放ちます。「お父さん、おかしくないですか?あんなに勝手なことをして、あなたの財産を使い果たして、それでのこのこ戻ってきた弟なのに、どうしてこんなに良くしてやる必要があるんですか?てゆーか、いつも真面目にやってるボクの身にもなってくださいよ。ボクにはパーティーどころか、家畜の一匹ですらくれない。あんなキレイな着物もくれないし、何もしてくれない。こんなの不公平だ!」
父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』。(ルカ 15:31-32)
'My son,' the father said, 'you are always with me, and everything I have is yours. But we had to celebrate and be glad, because this brother of yours was dead and is alive again; he was lost and is found.' (Luke 15:31-32)
「何を言っているんだ。お前はいつも私と一緒にいるじゃないか。私のすべてを手にしているじゃないか。どうしてそれがわからないんだ。どうして私の心をわかってくれないんだ。」
兄は、父と一緒にいました。いつもいつも一緒にいました。同じ家に住み、同じものを食べ、同じ財産を共有していました。でも、父の心を分かっていませんでした。一緒にいただけで、父との心の交わりがなかったのです。
最近、いわゆる団塊の世代における熟年離婚が増えていると聞きます。なぜでしょうか?夫は、がむしゃらに働いて、クタクタになるまで働いて、疲れて帰宅する。妻は、一日の出来事、子供たちのこと、いろんなことを話そうとする。でも、夫が発するのは三語。「めし、ふろ、ねる。」何十年も一緒に過ごしてきても、そこには交わりがない。心から分かり合おうとする交わりがない。だから、離婚という結果に繋がっているんだと思います。
イエス様も、放蕩三昧に身を崩したあの弟を愛し受け入れたお父さんのように、大きな愛を注ぎたいと願っておられます。でも、私たちが一緒にいる、ただそれを知っているというだけでは、交わりにならないのです。兄がお父さんと一緒にいながらその心を分からなかったように、交わらないとイエス様の本当の心、本当の愛は分からないのです。
イエス様が求めておられるのは、交わりです。ただ単に知っている(一緒にいる)だけではなく、体験してほしい(交わりたい)と願っておられるのです。
もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。(1ヨハネ 4:12)
if we love one another, God lives in us and his love is made complete in us. (1 John 4:12)
愛されるだけでなく、愛するだけでもなく、愛し合う。これが交わり。イエス様と交わる。心を知る。そして体験する。また、人々とお互いに愛し合うことで、イエス様の愛が私たちの中に完成される!イエス様の愛を体験できる!!これがクリスチャンの醍醐味です!!!
「一緒にいるだけの者」から、「交わる者」へ!
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