メッセージ

木に登ろう。舟を出よう。

そう、お熱が下がりません・・・と言っていましたが、いまだに微熱。夜になると、ぴゅーっと上がります。何でしょう。熱中症?夏バテ?元々新陳代謝がよろしくないので、この急激に暑くなった気候についていけてないんだと思いますが。ムチャをしないように!と思ってます。今まで以上に。ばーすでー迎えて、1つ歳を重ねたからね。()

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大興奮の、スペシャルサンデーバースデー。これまたスペシャルなスピーカー・ひろくんの語ってくれたメッセージで響いたところ。

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● 神様の見えるところへ行こう。

さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。(ルカ 19:1-4

Jesus entered Jericho and was passing through. A man was there by the name of Zacchaeus; he was a chief tax collector and was wealthy. He wanted to see who Jesus was, but being a short man he could not, because of the crowd. So he ran ahead and climbed a sycamore-fig tree to see him, since Jesus was coming that way. (Luke 19:1-4)

ザアカイは、背が低かった。だから、目の前の人々が壁になって彼の視界を遮っていたんだ。でも、彼はイエス様を見たかった。どうしても見たかった。自分の目で見たかったんだ。だから、木に登った。常識的に考えたら、滑稽な行動かもしれない。いい歳をした大人が、人目も憚らずに木に登ってまで見るなんて。でも、彼はそんなこと気にしなかった。気にならなかったのかもしれない。ただひたすら、イエス様を見たい!その強いオモイが彼の心にあったから。そして、彼はイエス様を見た。自分の目で、しっかりとイエス様を見た。

このストーリーは、ここで終わらない。イエス様を見ることができた。あーよかったね、ちゃんちゃん。これで終わりじゃない。

イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。(ルカ 19:5-6

When Jesus reached the spot, he looked up and said to him, "Zacchaeus, come down immediately. I must stay at your house today." So he came down at once and welcomed him gladly. (Luke 19:5-6)

イエス様は、ザアカイに出会ってくださった。「ザアカイよ」って名前を呼びかけて、直接出会ってくださった。ザアカイは、大喜びでイエス様を家に迎え入れた。それは、彼の人生にイエス様をお迎えしたってこと。それから、彼の人生は全く新しいものになった。イエス様と出会ったことで、今までとは全く違う、祝福の人生へと変えられたんだ。

キーはどこ?それは、ザアカイが木に登ったこと。目の前に立ちはだかる壁の向こうにいる、イエス様を見るために木に登ったこと。それによって、彼の人生は変わった。新しい、祝福の人生が始まった。

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● 今いるところから一歩踏み出そう。

イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。(マタイ 19:25-29

During the fourth watch of the night Jesus went out to them, walking on the lake. When the disciples saw him walking on the lake, they were terrified. "It's a ghost," they said, and cried out in fear. But Jesus immediately said to them: "Take courage! It is I. Don't be afraid." "Lord, if it's you," Peter replied, "tell me to come to you on the water." "Come," he said. Then Peter got down out of the boat, walked on the water and came toward Jesus. (Matthew 14:25-29)

ペテロは、海の上を歩いているイエス様を見て驚いた。「え?イエス様??海の上を歩いている???」 ペテロだけじゃなく、他の弟子たちも思った。「マジで??有り得ない!!」・・・そう、他の弟子たちは「有り得ない」って思ったの。科学的に「そんなことは有り得ない」、常識的に考えて「そんなことは有り得ない」、てゆーか普通に「有り得ない」。だから、舟の中から眺めているだけだった。

でも、ペテロは違った。「イエス様、すげー!海の上を歩く!?すごすぎる!イエス様、ボクも歩きたいです!!」 ペテロは、科学的なことや常識的なことを考えなかった。ただひたすら、イエス様と同じ体験をしたい。奇跡を体験したい。そのオモイだけで、舟を出たんだ。海の上に、水の上に、足を踏み降ろしたんだ。そして、ペテロはイエス様と同じように、海の上を歩いた。水の上を歩いた。そう、イエス様の奇跡を体験したんだ。

キーはどこ?それは、ペテロが舟を出たこと。常識や固定概念を置いて、イエス様を体験するために舟を出たこと。それによって、彼はイエス様の奇跡を、偉大さを身をもって体験することができたんだ。

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壁が立ちはだかっているなら、それを越えよう。そしたら、イエス様が見える。そこには、イエス様の働きがある。イエス様の喜び、イエス様の恵み、イエス様の平安。壁の向こうにそれがある。それを見たいなら、それを得たいなら、壁の前で突っ立っているだけじゃダメなんだ。壁を眺めているだけじゃダメなんだ。

舟の中で小さくまとまっているなら、そこから出よう。そしたら、イエス様を体験できる。そこには、イエス様の奇跡がある。イエス様の偉大さ、イエス様の強さ、イエス様の広さ。舟の外にそれがある。それに触れたいなら、それを掴みたいなら、舟の中で縮こまっているだけじゃダメなんだ。舟の中に安住していちゃダメなんだ。

自分の意志で、一歩を踏み出す。木に登ろう。舟を出よう。イエス様のでかさを体験するために。イエス様のすごさを自分自身が体験するために。

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一歩踏み出す。これが、祝福のスタートになる。私もほんの少しだけど、現在進行形で体験中。イエス様の祝福を受け取るために、次のレベルに行くために、大事なのは、あなたのその一歩。

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勇気を出して、一歩。オモイを込めて、一歩。登り始めるとき、踏み出すとき、イエス様の祝福が流れ始める。あなたの一歩は、そのための突破口。溢れるほどの恵みが流れ出すための、突破口。小さくてもいいの。小さくても、穴が開いたらそこから水がどばーって流れ出すように、小さな一歩でも、イエス様は祝福してくださるよ。

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「今」を生きる。

今日の木曜集会で語られたこと。「今」を生きる。「今」を最大に喜び楽しむ生き方をしよう。

これは、決して「今」さえ良ければそれでいい!的なことじゃないよ。それは全然違う。そうじゃなくて、与えられている「今」というときを最大に活かして生きよう!ということ。

私たちが生きているのは、「今」。決して「過去」に生きているわけじゃない。「過去のしがらみ」「過去の罪」に生きているわけじゃない。それらは、全部イエス様が十字架で負ってくださった。全部取り除いてくださった。だから、私たちはそれらに縛られる必要は全くない!

それから、「過去の栄光」に生きているのでもない。「昔は良かった・・・」とか「前はもっと○○だった・・・」とか、過去のことばかりを追い求めていても何も生まれない。イエス様が与えてくださる「今」を最大に喜び楽しむとき、「昔の方がいい」なんて思わなくなる。「今」この瞬間もイエス様が私と共にいてくださる!そのことを体験していると、後ろなんて振り向かなくなる。与えられた「今」と、「今」が積み重ねられた先にある「将来」に対する喜びと期待でいっぱいで、前に向かって力強く進み行くことができる。

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でも、生きているとさ、嬉しいことや楽しいことばかりじゃないよね。想像を絶するような痛みを通るときも、涙に暮れる苦しみを通るときもある。私がこれまで生きてきた中にも、何度かそれと言えるようなことがあったよ。当時の私には、超えられないとさえ思ったようなことが。

でもね、今になって思うの。全部がイエス様の御手の中で起きてるんだなーって。物事が起こる理由なんて、そのときにはわからないことの方が多い。もしかしたら、後になってもわからないこともあるかもしれない。

たとえば、お母さんが天国へ行ったこと。このことの理由なんて、未だにわからない。でもね、わからなくていいのかもって思ってる。理由はわからなくても、「イエス様は私に良いことしかされない」そのことだけわかってたら十分なんだと思うから。

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うちの教会にね、Mさんっていう101のおばあちゃんがいるの。すっごく可愛い方でね、私もこんなふうに歳を重ねたい!心底そう思う、憧れのおばあちゃん。

彼女が100歳になったとき、あるテレビ番組が取材に来たの。どこで聞きつけたのか、「100歳の人たちにインタビューをしている」と。ゴールデンタイムに放映してた(今もやってるのかな?)「ランキンの・・・」って番組。知ってる??結局なぜか放送されず仕舞いなんだけどね、ま、それは置いといて。その取材中、インタビュアーがこんな質問をしたの。

Mさんがこれまで生きてきた100年のうち、何歳のときが一番良かったですか?」

それに対して、Mさん何て答えたと思う?結婚したとき?子どもが生まれたとき?子育てを終えて自分の時間を楽しめるようになったとき?・・・NO!違うんです。彼女が出した答えは、これ。

「今が一番いいよ。今が一番いい。」

100年生きてきて、今が一番いい。なかなか言えることじゃない。ネガティブになろうと思えば、いくらでも材料はあると思う。だって、気力も精神力も、若いときのそれとはやっぱり違うと思う。体力だって衰える。自分の思うように体が動かないって、結構ストレスだよね。

でもね、彼女は即答した。「今が一番いいよ。今が一番いい。」 これ、彼女が「今」を生きている証だよね。前を向いて、イエス様が用意してくれている将来を望み見て、平安と希望に生きている証だよね。

先にも書いたように、生きていると、ときには痛みや苦しみを通ることもある。それは否定しない。でもそんなとき、もしその痛みや苦しみにフォーカスしていたらどうだろう。悲しいとか辛いとか、そんな感情の中から得られるものって何かある?そこから生きる力や希望を得られる??・・・NO!絶対無理!!

でもね、どんな状況にあっても、私たちがイエス様にフォーカスするとき、私たちは力を得られる。希望を見出すことができる。「今」を生きることができる。

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主を喜ぶことはあなたがたの力です。(ネヘミヤ 8:10

the joy of the LORD is your strength. (Nehemiah 8:10)

私たちは、私たちの主であるイエス様を喜ぼう。それは、私たちの力だから。希望だから。喜びだから。「今」を生きるための、「今」を最大に楽しむための、大切なポイントだよ!

そして、その「今」が積み重ねられた先にある「将来」が、どんなに素晴らしいかを想像してみて。そしたらさ、ネガティブに後ろを向いてなんかいられなくなるから!()

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「今」を楽しむ。「今」を喜ぶ。「今」を生きる。今日も、明日も、明後日も。ずっとずっと「今」を生きる。それが、最高の人生を作る。そう思います。

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by the Grace of God...

昨日の聖日礼拝で語られたメッセージ、ただ神の恵みによりこのあいだから語られまくりのこと。by the Grace of God...

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パウロがコリントの町へ行った。キリストの福音を携えて、不品行と不道徳の町・コリントへ宣教に行った。彼の働きを通して、多くの人々がキリストに出会った。町に救いが広がった。教会が建てられた。by the Grace of God...

アポロがパウロの働きを継いだ。その働きもまた大いに祝福され、教会は発展していった。多くの人々が増し加えられた。by the Grace of God...

しかし、コリントの教会の人々はこんなふうに言い始めた。私はパウロ先生に付いて行く!いや、私はアポロ先生を応援する!この町に福音を伝えてくれたのはパウロ先生だぞ!でも、アポロ先生の働きの方が大きく祝福されているじゃないか!・・・

そんな様子を見たパウロは、人々にこう訴えた。

アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。(1コリント 3:5-7

What, after all, is Apollos? And what is Paul? Only servants, through whom you came to believe—as the Lord has assigned to each his task. I planted the seed, Apollos watered it, but God made it grow. So neither he who plants nor he who waters is anything, but only God, who makes things grow. (1 Corinthians 3:5-7)

私(パウロ)もアポロも、ただ神様から与えられた働きをしただけ。私は植える(伝える)こと、アポロは水を注ぐ(教える)こと、その働きをしただけ。人々が救われることやクリスチャンとして成長していくことは、私やアポロの働きゆえではない。ただ神様の恵みによって!なんだ。

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そう、人が救われるのは、決して人の働きによってではない。神様の恵みによって救われる。人の手を通して植えられる(伝えられる)種(福音)に命があるから、人は救われるんだ。人生が変わるんだ。by the Grace of God...

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クリスチャンとしての成長も然り。人間の力で努力して成長するのではない。救われる≠完璧になる。救われると同時に、自分の品性や行いが完全なものになるのではない。神様との命に溢れた交わりが始まり、それが日々新しく豊かにされていくということ。それによって、成長し続けることができ、古い自分(良くない習慣や思考など)から解放されていく。by the Grace of God...

これを忘れちゃいけない。私たちが救われたのは、ただ神様の恵みによって。クリスチャンとして成長できているのも、ただ神様の恵みによって。

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いつも神様に繋がって成長し続けたい。神様の命に満たされて生きていきたい。恵みを忘れて自分を誇ることのないように。恵みを忘れて成長を止めることのないように。ただ、神様の恵みによって。。。

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Beersheba

今、木曜集会では(小平先生がメッセージのときは)、ヨセフのストーリーを学んでます。数ヶ月前から続いてるんだけど、毎回わくわくです。神様のプランの壮大さと細やかさの何とも言えない絶妙な感じ。たまんない!!!

今日は、エジプトの内閣総理大臣になったヨセフがお父さんのヤコブ(後にイスラエル)をエジプトへ呼び寄せるところから語られました。(ヨセフが内閣総理大臣になるまでのところは、ココをクリック!)

この当時、全世界で大規模な飢饉があって、ヨセフの故郷でも食糧が尽きてしまっていました。でも、エジプトには多くの食糧が貯えられていた。ヨセフが夢で神様から語られて、飢饉に備えて豊作のときにしっかり貯えていたから。ヨセフは、食糧を求めてエジプトへ辿り着いた兄たちに向かって、こう言いました。

あなたがたは父のもとに急ぎ上って言いなさい、『あなたの子ヨセフが、こう言いました。神がわたしをエジプト全国の主とされたから、ためらわずにわたしの所へ下ってきなさい。あなたはゴセンの地に住み、あなたも、あなたの子らも、孫たちも、羊も牛も、その他のものもみな、わたしの近くにおらせます。ききんはなお五年つづきますから、あなたも、家族も、その他のものも、みな困らないように、わたしはそこで養いましょう』。(創世 45:9-11

Now hurry back to my father and say to him, 'This is what your son Joseph says: God has made me lord of all Egypt. Come down to me; don't delay. You shall live in the region of Goshen and be near me—you, your children and grandchildren, your flocks and herds, and all you have. I will provide for you there, because five years of famine are still to come. Otherwise you and your household and all who belong to you will become destitute.' (Genesis 45:9-11)

ヨセフは、兄たちの手によってエジプトへ売られました。そこに待っていたのは、奴隷としての生活。でも、神様はヨセフを祝福されました。どんな状況(主人の奥さんに誘惑されたり、濡れ衣を着せられて投獄されたり・・・)にあっても神様の義に生きることを選び続けたヨセフを、神様は豊かに祝福されました。そして、奴隷として足を踏み入れたエジプトの地で、ヨセフは内閣総理大臣となったのです。神様の、溢れるばかりの豊かな祝福の現われに他なりません。

・・・話が逸れました。今日の本題はココじゃない。() 今日のキーは、ヨセフのお父さんであるヤコブ。

先に書いたように、もう死んだと思っていた愛息子のヨセフが生きている!それだけでもヤコブにとってはかなりのビッグニュース!でも、それだけじゃない。エジプト(当時、世界一の大国とされていた豊かな国)の内閣総理大臣になっている!しかも、自分たちを飢饉から救うためにエジプトへ来るようにと招いてくれている!あまりの話の展開に、ヤコブはかなりの衝撃を受けたんです。聖書にも書いてある。

彼ら(ヨセフの兄たち)はエジプトから上ってカナンの地(ヨセフの故郷)に入り、父ヤコブのもとへ行って、彼に言った、「ヨセフはなお生きていてエジプト全国のつかさです」。ヤコブは気が遠くなった。彼らの言うことが信じられなかったからである。(創世 45:25-26

So they went up out of Egypt and came to their father Jacob in the land of Canaan. They told him, "Joseph is still alive! In fact, he is ruler of all Egypt." Jacob was stunned; he did not believe them. (Genesis 45:25-26)

ね???()

ここからが本題。

愛息子ヨセフの申し出を、ヤコブは喜んだに違いない。飛び上がるほどに嬉しかったに違いない。でもね、そんな有頂天になってしまうような状況でも、ヤコブは神様の御心を探ることを忘れなかった。

イスラエル(ヤコブ)はその持ち物をことごとく携えて旅立ち、ベエルシバに行って、父イサクの神に犠牲をささげた。この時、神は夜の幻のうちにイスラエルに語って言われた、「ヤコブよ、ヤコブよ」。彼は言った、「ここにいます」。神は言われた、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。(創世 46:1-3

So Israel set out with all that was his, and when he reached Beersheba, he offered sacrifices to the God of his father Isaac. And God spoke to Israel in a vision at night and said, "Jacob! Jacob!" "Here I am," he replied. "I am God, the God of your father," he said. "Do not be afraid to go down to Egypt, for I will make you into a great nation there. (Genesis 46:1-3)

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ヤコブがエジプトへ行く前にしたこと。ベエルシバへ行って、礼拝を捧げること。

エジプトは、確かに豊かな国だった。当時の最先端をゆく文化もあった。飢饉にあっても食糧を持つ、豊かな国だった。でも、神ならぬ神々のある異教の国でもあった。

だから、ヤコブは戸惑ったんです。本当にエジプトへ行っていいのだろうか。ヨセフが招いてくれているのは本当に嬉しいし、今すぐにでも飛んで行きたい。でも、これは本当に神様の御心なんだろうか。

そして、そんなヤコブに神様は応えられました。わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。(創世 46:3 ヤコブは、神様からの励ましと力を得て、エジプトへ向かいました。神様が共にいて祝福してくださる!という確かな約束を握って、エジプトへ向かいました。

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私たちクリスチャンも、エジプト(この世)で生活しています。働かなきゃいけないし、学校に行ったり、地域との関わりを持ったり、この世の中で生きる者としてすべきことはしなきゃいけない。でもね、大切なのはココ。いつも神様に近く歩めているか。神様の御心を歩めているか。

ヤコブは、エジプトへ行く前にベエルシバで神様の御心を問うたの。ベエルシバ、それは、ヤコブの父イサクや祖父アブラハムが神様に礼拝を捧げてきた聖なる場所。エジプト(異教の国、この世)へ出る前に、ベエルシバ(神様を礼拝するところ)へ行った。そこで神様の御心を求めて祈り、確かなみことばの約束を握って、エジプトへ行ったの。

私たちも、まだ神様のことを知らない人たちのところへ出て行くときに、ヤコブのように先ず神様の前に出る必要がある。神様からの知恵と力と励ましをいただいて、みことばを握って出て行く必要がある。無防備になってはいけない。心を守るため?もちろんそれもある。でもね、無防備だと、何の準備も出来ていないと、語れない。神様を知らない人に、福音(ゴスペル、ホンモノの愛)を伝えられない。

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先にも書いたように、私たちはこの世で生活している。神様を知らない人たちが多くいる中で生活している。そこへ出て行く前に、先ず神様の前へ出よう。祈りとみことばによって一日をスタートさせよう。そして、出会う多くの人たちに、キリストを伝える者とならせていただこう。

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わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。(ヨハネ 15:5

I am the vine; you are the branches. If a man remains in me and I in him, he will bear much fruit; apart from me you can do nothing. (John 15:5)

何一つできない。これは、しなければならないことを何一つできない、という意味。キリストを伝える。このことのために、いつも神様の前に出て命をいただき、実を結ぶ者になりたい!ベエルシバへ行こう!!

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人生の作り方

こないだの教会学校で語ったメッセージ。私自身が、すごい強くイエス様から語られたこと。準備しながら、語りながら、すっごい励まされた!

●人生の作り方

お料理の作り方って、最初誰かに教えてもらって出来るようになったよね?包丁の使い方、火の扱い方、材料の切り方、味付けの仕方・・・。全部、教えてくれる誰かがいて出来るようになったよね?

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たとえば、めちゃめちゃ美味しいケーキを作りたい!でも作り方がわからない・・・、そんなときお菓子作りの達人が来て、「じゃあ、最初に卵を割ってかき混ぜてみよう」って教えてくれたらどうだろう。この人がいてくれたら大丈夫!って安心して作り始められるよね。

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達人に教えてもらったとおり卵をぐるぐるかき混ぜてたら、達人が続けて「次は砂糖を入れてね」って教えてくれるの。砂糖を手に取ろうとしたそのとき、誰かが来て「塩だよ、塩!」って言ったらどうする?砂糖と、塩。どちらも白い粉。見た目じゃわかんない。でも、達人の言うとおりにした方が正しいってわかってるから、達人の言うとおりにするよね。もしくは、レシピ本を見て調べるかもしれない。「なーんだ、やっぱり砂糖で合ってる!塩なんてどこにも書いてない!!」って。

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達人の助けを借りながら作り進めて、生地が完成。さあ、次はいよいよオーブンへ。達人が言うの、「40分くらい焼こうね」。タイマーを合わせてスイッチオン。

5分経過・・・。早く食べたいよー!まだかなー。そんなとき、誰かが来て言うの。「もうそろそろいいんじゃない?オーブン、開けちゃえば?」 「え、でも達人は40分焼こうって言ったよ?」 「そう?大丈夫なんじゃない??」・・・でも、ケーキを作ったことのある人ならわかるよね?焼き始めて5分なんかでオーブン開けても、まだ生地はドロドロした液状。出来上がりには程遠い。

30分経過・・・。また誰かが来て言うの。「これだけ待ったんだもん、もうイイに決まってるよ!」って。でも、達人は、「40分待とうね」って言ってる。さあ、どうする?? 「今までも、さっきも、達人の言うとおりだった。だからきっと、今回も達人の言うとおりにした方が正しい!」そう言って待てたら、大正解!もし一見焼けてそうでも、中はまだ。生焼けなんて、全然美味しくない。

40分経過、そしてピーーー!!!オーブンから焼き上がりの合図。「さあ、オーブンから出してみよう。熱いから気をつけて!」達人に促されてオーブンを開ける。ふわ~っと広がる甘い香ばしい匂い。「うわ~、美味しそうに焼きあがったね!大成功!!よくできました!!!」達人に褒められながら、パクッと一口。おいしーーーーーheart04 達人と一緒に作ったんだもん。達人のレシピで作ったんだもん。美味しいに決まってるよね!!!

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私たちの人生も、これと同じ。隣にはいつもイエス様がいてくださる。最高の人生を作るために、いつもそばにいてくださる。

ケーキを作っているときに達人がそばにいていろんなアドバイスをしてくれたように、イエス様も私たちにアドバイスをくださるの。これは、こういう意味があるんだよ。こういうときは、こんなふうにするんだよ。そうそう、上手に出来たね。それでいいよ!あー、これは止めた方がいい。きみの心を守るためだ、止めなさい。って。

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ときには、周りの声が聞こえてくるときもある。ネガティブなことや、イエス様のやり方と違うことを言う声が聞こえてくるときもある。でも、私たちには人生のレシピ本、聖書がある。聖書に書かれているやり方、イエス様の声を選び取ろう。

わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、それをあなたの目から離してはならない。(箴言 3:21

My son, preserve sound judgment and discernment, do not let them out of your sight; (Proverbs 3:21)

今、みことばチャレンジで覚えているこのみことばにも書かれているよね。確かな知恵:正しいことを選び取っていく力。慎み:正しいことを受け入れられる素直な柔らかい心。イエス様の声、イエス様のやり方を選び取って、それに従う柔らかい心で歩みたいね。

生地をオーブンに入れてから焼き上がるまでに時間がかかったように、私たちの人生にも「待つ」というときがある。でも、そんなときも、イエス様はただ単に放っておくのではなく、そばにいて励ましてくださる。これから暫くは「待つ」ということをする必要がある。でも、これはきみの人生にとってすごく大切なときなんだ。だから、諦めないで待ち続けよう!って。

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焼き上がり、つまり人生が出来上がるとき、イエス様は一緒に喜んでくださるんだ。きみの人生、最高だね!最高に素晴らしいよ!!そう、イエス様が用意してくださっている「最高の人生」っていうのは、私たちにとっての最高。

考えてみて。一生懸命に切ったり混ぜたりして、ときにはジッと待ったり、仕上がりをイメージしてわくわく期待したり、長い時間をかけてやっと出来上がったものが、「えー、こんなの作りたくなかったー。こんなの好きじゃない!」っていうような代物だったらどう?正直、やってらんない!って感じよね?()

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でもね、イエス様と一緒に作り上げる人生は、最高なの!「うわ~~~!こんなに素晴らしいだなんて想像もできなかった~~~!すっごーーーい!!!」って嬉しくて感動して飛び跳ねるくらい最高の仕上がり。私たちのわくわく感、イメージ、オモイ、願い、その全部を遥かに超える最高の仕上がり。それが、イエス様レシピの人生。これが、間違いのない人生の作り方。

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。(エレミヤ 29:11

For I know the plans I have for you," declares the LORD, "plans to prosper you and not to harm you, plans to give you hope and a future. (Jeremiah 29:11)

平安と将来と希望に溢れた人生。イエス様と一緒に歩むなら、イエス様と一緒に作るなら、あなたの人生も最高に素晴らしいものになります!!

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でゅなみす

昨日も、最高に素晴らしい日曜日でした!!!

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ルーマニアから、川井勝太郎先生が来てくださいました。顔中笑顔でパワフルな、みことばに熱く生きる先生。ルーマニアでの宣教の働きは、16年になると聞いています。私たちの教会から2年に1回のペースで行っているルーマニア宣教旅行も、川井先生がコーディネートしてくださっています。

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昨日は、川井先生のご友人で京都在住のプロピアニスト小堀さん(川井先生は、「コボちゃん」って呼んでたよ。笑)も来てくださいました。白いスーツがバッチリ似合ってしまう、貴公子のような小堀さん。フランス、韓国、日本・・・。音楽を通してイエス様の愛を伝えるために、世界各国を飛び回っておられます。(韓国では、超有名らしい!)

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ピアノ、弾いてくださいました。素晴らしい!の一言。全身の隅々にまで染み渡るような、透き通った美しい旋律。特に、小堀さんの作曲された「How Great」という曲が素晴らしかったー!イエス様の広さ、高さ、深さ、長さ、その何とも言えない大きさを感じることができて、感動でした。

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そして、川井先生のメッセージ。こちらも素晴らしかった!めちゃめちゃ熱かった!!とてもたくさんのことを語ってくださったんだけど、私が特に響いたことをシェアします。

●みことばには力がある!

御言には、あなたがたのたましいを救うがある。(ヤコブ 1:21

ここで使われている「力」という言葉は、原語ではdunamis(スペル合ってるかわかんないけど、音はデュナミス。笑)と言って、英語のdynamite(ダイナマイト)、dynamic(ダイナミック)の元になった言葉。つまり、神様のことばには、爆発的な、躍動感溢れる、激しく強い力がある!ということ。聖書のみことばを、本当にそのように感じながら読んでいますか?そのような力を、日々体験していますか?

みことばには力がある!聖書はハッキリそう書いています。その力はどこから来るのでしょう。私たちの頑張り?いいえ、違います!それは、聖霊によるのです!!私たちが聖霊に満たされるとき、私たちの内にdunamis(爆発的な、躍動感溢れる、激しく強い力)が与えられ、その力によって立ち上がり、働き、神様の御業を見ることができるのです。

●新しい皮袋

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(2コリント 4:16 

私たちが聖霊による新しい満たしを得たいと願うなら、私たち自身も新しくされる必要があります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべき(マタイ9:17だからです。考え方を変える。固定観念を捨てる。内も外も新しくされて、新しい満たし、新しい状況、新しい祝福、新しい御業を体験したい。

実はこのマタイ9:17のみことば、1ヶ月くらい前にイエス様から語られてからずっと心に響いていたんです。教会学校の年度初めのメッセージも、ここから語りました。新しい皮袋。語られまくってます!!

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でゅなみす。爆発的にすごい神様の働き。溺れるほどに溢れる祝福。押し倒されるほどのデカイ御業。もっと見たい。もっと味わいたい。もっともっと。

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたはを受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。(使徒 1:8

But you will receive power when the Holy Spirit comes on you; and you will be my witnesses in Jerusalem, and in all Judea and Samaria, and to the ends of the earth. (Acts 1:8)

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「一緒にいる」と「交わる」の違い

木曜集会で語られたメッセージをシェアします。

放蕩息子のストーリー。知らない人のために、ちょっと書くね。

あるところに、一人の男性がいました。それなりの財産を得ていたのでしょう、使用人や家畜、着物や装飾品も多く持っていました。彼には、二人の息子がいました。そのうちの一人、弟の方が遊ぶ金欲しさにこう言いました。

「お父さんが死んだときにボクがもらえるはずのお金、今すぐちょうだい!」

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生きた人に対して遺産の取り分を請求する。しかも遊ぶ金欲しさに。失礼極まりない申し出にも関わらず、父はその通り彼に遺産の半分を与えてやりました。

遺産を手にした息子は、意気揚々と家を後にしました。街へ出て行き、手にした遺産で豪遊しました。しかし、浪費に浪費を重ねた結果、たくさんあったお金も、あっと言う間に底をつきました。

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ちょうどその頃、息子のいた地域で不作が続き、お金を持っていない彼は食べるものにも困るようになりました。生きるために働こうにも、不況の中で雇ってくれるところなんてありません。やっと見つけた仕事は、家畜小屋の世話係でした。家畜の世話をしながら、あまりの空腹に家畜の餌にまで手を出してしまいそうになりながら、息子は思ったんです。

父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください。(ルカ 15:17-19

How many of my father's hired men have food to spare, and here I am starving to death! I will set out and go back to my father and say to him: Father, I have sinned against heaven and against you. I am no longer worthy to be called your son; make me like one of your hired men. (Luke 15:17-19)

遺産をせびって家を飛び出し、散々浪費した挙句にどうしようもなくなり、家へ帰る。あまりにも勝手すぎる行動。「今さら帰っても・・・受け入れてもらえるだろうか・・・」息子は不安だったに違いありません。

でも、

まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。(ルカ 15:20

while he was still a long way off, his father saw him and was filled with compassion for him; he ran to his son, threw his arms around him and kissed him. (Luke 15:20)

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それだけじゃないんです!

父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。(ルカ 15:22-24

the father said to his servants, 'Quick! Bring the best robe and put it on him. Put a ring on his finger and sandals on his feet. Bring the fattened calf and kill it. Let's have a feast and celebrate. For this son of mine was dead and is alive again; he was lost and is found.' So they began to celebrate. (Luke 15:22-24)

これが、父の愛です!!!

さて、前置きが長くなりましたが、今日の本題はここから。

弟息子の「おかえりパーティー」を開いているところに、その兄が帰ってきました。賑やかな様子にビックリ。使用人に「何事だ?」と聞くと、「あなたの弟さんが帰ってこられたんです!お父様ときたらそれはもうすごい喜びようで、今みんなでパーティーをしているところなんです!」・・・なんだって!?パーティー??

訝しげに思いながら中へ入ると、父が兄を見つけてこう言います。「嬉しいニュースがあるんだ!弟が帰ってきたぞ!もう死んでしまったんじゃないかと思っていたのに、帰ってきたんだ!いや~、嬉しいねぇ。今みんなでパーティーをしているから、お前も一緒に喜び合おうじゃないか!」

喜びを爆発させる父に対して、兄はこう言い放ちます。「お父さん、おかしくないですか?あんなに勝手なことをして、あなたの財産を使い果たして、それでのこのこ戻ってきた弟なのに、どうしてこんなに良くしてやる必要があるんですか?てゆーか、いつも真面目にやってるボクの身にもなってくださいよ。ボクにはパーティーどころか、家畜の一匹ですらくれない。あんなキレイな着物もくれないし、何もしてくれない。こんなの不公平だ!」

父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』。(ルカ 15:31-32

'My son,' the father said, 'you are always with me, and everything I have is yours. But we had to celebrate and be glad, because this brother of yours was dead and is alive again; he was lost and is found.' (Luke 15:31-32)

「何を言っているんだ。お前はいつも私と一緒にいるじゃないか。私のすべてを手にしているじゃないか。どうしてそれがわからないんだ。どうして私の心をわかってくれないんだ。」

兄は、父と一緒にいました。いつもいつも一緒にいました。同じ家に住み、同じものを食べ、同じ財産を共有していました。でも、父の心を分かっていませんでした。一緒にいただけで、父との心の交わりがなかったのです。

最近、いわゆる団塊の世代における熟年離婚が増えていると聞きます。なぜでしょうか?夫は、がむしゃらに働いて、クタクタになるまで働いて、疲れて帰宅する。妻は、一日の出来事、子供たちのこと、いろんなことを話そうとする。でも、夫が発するのは三語。「めし、ふろ、ねる。」何十年も一緒に過ごしてきても、そこには交わりがない。心から分かり合おうとする交わりがない。だから、離婚という結果に繋がっているんだと思います。

イエス様も、放蕩三昧に身を崩したあの弟を愛し受け入れたお父さんのように、大きな愛を注ぎたいと願っておられます。でも、私たちが一緒にいる、ただそれを知っているというだけでは、交わりにならないのです。兄がお父さんと一緒にいながらその心を分からなかったように、交わらないとイエス様の本当の心、本当の愛は分からないのです。

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イエス様が求めておられるのは、交わりです。ただ単に知っている(一緒にいる)だけではなく、体験してほしい(交わりたい)と願っておられるのです。

もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。(1ヨハネ 4:12

if we love one another, God lives in us and his love is made complete in us. (1 John 4:12)

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愛されるだけでなく、愛するだけでもなく、愛し合う。これが交わり。イエス様と交わる。心を知る。そして体験する。また、人々とお互いに愛し合うことで、イエス様の愛が私たちの中に完成される!イエス様の愛を体験できる!!これがクリスチャンの醍醐味です!!!

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「一緒にいるだけの者」から、「交わる者」へ!

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Come over and help

ビザ申請手続きなどのために一時帰国していたピーター&シャロン、先週再び来日してくれました!おかえり~~~heart04

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今日の賛美夕拝では、ピーターが語ってくれました。飾らない真っ直ぐな彼の言葉は、イエス様からのメッセージをシンプルに伝えてくれる。心にガツンガツン響きます。

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ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願するのであった。(使徒 16:9

During the night Paul had a vision of a man of Macedonia standing and begging him, "Come over to Macedonia and help us." (Acts 16:9)

以前、ある宣教(イエス様を国内外で宣べ伝える働き)をテーマにした集会に出ていたとき、ピーターの心に日本へのオモイが与えられたそう。アジアの、他の多くの国のどこでもなく、この日本へのオモイ。ピーターはこのことのために祈り始め、そして、上に書いたみことばのように幻を見たそう。日本人が、「渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」そう言っている幻。彼は、それに応えた。イエス様からの情熱だと確信して、まさに海を渡って来てくれた。

彼らの中では、日本滞在は一年のつもりだった。でも、イエス様は再び彼らに語られた。同じみことばから、同じ幻を通して。そして今、彼らは再びここ日本にいる。オーストラリアでの仕事を捧げて、家族や友達と過ごす時間を捧げて、異国で、異文化の中で暮らす様々なオモイを捧げて、今再び日本の地に立っている。

「渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」、「何をしたらいいのかわからないのです」、「どんなふうに生きたらいいのかわからないのです」、「人生の目的はどこにあるのですか」・・・。海外に行くことだけがすべてじゃない。知らない土地へ出かけることだけが宣教じゃない。私たちの周りにも、同じように声を上げている人がいるはず。職場、学校、地域、友達、家族、あらゆるところで、私たちにそう呼びかける声が、存在があるはず。必ずあるはず。その声に耳を傾けよう。その声に応えよう。イエス様の愛を知るものとして、そこに出て行ってホンモノを届ける者となろう。

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「渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」、あなたにも聞こえますか???

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捧げたら、香る。

日曜日の朝の礼拝で語られたメッセージをシェアします。

マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。(ヨハネ 12:3

Mary took about a pint of pure nard, an expensive perfume; she poured it on Jesus' feet and wiped his feet with her hair. And the house was filled with the fragrance of the perfume. (John 12:3)

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●ナルドの香油

ナルドとは、正式にはスパイクナルドといって、日本では甘松香(カンショウコウ)と呼ばれている世界でも極めて珍しいヒマラヤ原産の野生植物。高度3,0004,000mの大気汚染とはまったく無縁の空の下、化学肥料を知らないヒマラヤ渓谷のピュアな大地で収穫されるナルドの根茎から取った香料による香油は、数千年もの昔から薬として利用され、非常に高価なもの(今の価値に換算すると、300万円くらい)。この香油は石膏の小さな壷(あるいは瓶)に詰めて封印され、聖書の時代もシルクロードを通ってインドからパレスチナ地方にも輸入されていた。今では、すでに古典香料の1つとして入手困難とされている。

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マリヤは、その香油(独身の彼女にとっては結婚支度金だったかもしれない・・・きっと彼女の全財産)を惜し気もなくイエス様の足に注ぎました。そして、自分の髪でそれを拭ったのです。その壷にフタはありませんでした。つまり、マリヤはその壷を割って、一滴も残すことなくすべてを注ぎきったのです。香油の、麗しい香りが家いっぱいに溢れました。

マリヤの捧げた香油。これは、私たちの賛美や、祈り、礼拝、奉仕、伝道、また毎日の生活のいろんなことを意味します。私たちがマリヤのように、心を注いで、そのすべてをイエス様に捧げきるときに、麗しい香り(イエス様の祝福)が神の家である教会いっぱいに満ち溢れるのです。

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このメッセージを聞いていて、思いました。私は本当にすべてを捧げられているだろうか。惜しみなく、そのすべてを捧げきることができているだろうか。

・・・答えは、NOでした。

「イエス様に人生を捧げます!」なんて言いながら、時間を捧げられない。仕事も、人間関係も、思いも、考えも、全然捧げられていない。それどころか、取るに足らないものへ執着したり、プライドという名のもとに高慢になったり・・・。「捧げる」ということが、私の生活の中で全然具体的でなかったことを教えられました。

今月に入って、会社での人間関係でとても苦しいところを通っています。でも先週、みことばによって励まされて「苦しいけど賛美します!喜べないけど喜びます!」と告白し、新しい一歩を踏み始めました。が、その数日後、更に大きな波が待っていたんです。「イエス様、何でよ!やっと立ち上がれたとこやのに、何でよ!!」・・・あまりのショックに、イエス様に八つ当たりする始末。()

そんな中、イエス様から「プライドを捨てなさい」と語られています。特に、仕事において「委ねなさい、捧げなさい」と語られています。それはとても辛いこと。私にとってはものすごく辛いこと。なぜなら、私が一番と言っていいくらいにプライドを持っているところだから。でも、だから、イエス様は言われるんです。「そこを捧げなさい」って。「必ず祝福するから、捧げなさい」って。

往生際の悪い私は、それでもなかなか「はい」と言えずにもがいています。現在進行形で、もがいています。「だって、これは私がめちゃめちゃ頑張ってることだから」、「これは、私が社会人としてかなりプライド持ってることだから」・・・あーだこーだと言い訳しては、プライドを握り続けようとしています。

でも、そんなことしている場合じゃないのかもしれない。そう思い始めています。イエス様が私に対して用意しておられるプラン、このチャレンジの向こうにある祝福。私がこだわっている小さなプライドなんかとは比べ物にならないくらいの素晴らしいプラン、大きな祝福。私は、自らの手でそこから外れようとしているんじゃないか、逃そうとしているんじゃないか。

もしマリヤが、そのナルドの香油を捧げることを惜しみ、他のもの(例えば水。←当時は水も貴重だったとは思うが、香油との対比)でイエス様の足を洗っていたらどうだっただろう。「足を洗う」、そのことは喜ばれたかもしれない。でも、その惜しむ心を悲しまれたに違いない。そしてもちろん、それは香りを放つことはなかっただろう。

私のしていることは、これと一緒なのかもしれない。ある程度の捧げ方。制限付きの委ね方。イエス様は、そんな心を喜ばれない。イエス様は、100か0。YESNO

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イエス様、私はまだまだ中途半端です。でも、このままでイイなんて思ってません。100%になりたいんです。あなたの御心に100%で応えたいんです。そのために、1つずつ捧げていきます。握り締めているものを、1つずつ。スローペースかもしれないけど、1つずつ。マリヤのように、すべてを捧げきることができるまでに。そしたら、香りが広がるよね。イエス様の麗しい香りが、溢れ流れ出るよね。

捧げる。そしたら香る。キリストが溢れる。麗しいキリストの香りが溢れて、溢れて、流れ出る。

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あどべんちゃー

昨日も、朝から夜までえきさいてぃんぐな日曜日でした。朝の教会学校は、月イチの合同(小1~6)。のまっきー先生がメッセージをしてくれました。

「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」って知ってるかな?(詳しくはココをクリック。音声アリです。お仕事中の人は要注意!笑)土曜日(3/8)公開の映画。ストーリーを説明すると・・・。

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ある日、のび太が裏山で小さな木の苗を見つけた。でも、ママは「庭に植えちゃダメ!」。それなら・・・と、ドラえもんが出した素敵な道具。その名も、「植物自動化液」。植物が自由に動けるようになる液体。動くようになったその苗に、のび太は名前を付けた。キーキー鳴くから、「キー坊」(←さり気に、希望ともかけてるらしいけど。笑)。のび太は、キー坊をとっても可愛がった。ある日、ひょんなことからキー坊の生まれた緑の星へ行くことになる。そこは、植物が支配している国。地球から緑を奪おうとするシラーたちと闘う、のび太たちの大冒険が始まる。。。

ドラえもんとのび太って、いつも冒険してるよね。宇宙開拓史、海底鬼岩城、竜の騎士、パラレル西遊記、ドラビアンナイト、・・・ものすごくたくさんの冒険をしてる。(・・・てゆーか、なんで私はこんなにたくさん知ってるんだろう。笑)

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別に冒険しなくても、その結果を知ることはできると思う。どこでもドア、タイムマシン、もしもボックス、・・・ドラえもんはその気になればいつだって答えを見せられる。「のび太くん、あと○日待ったら△△になるよ。そして、□□になった後で☆☆になるよ。」・・・でも、ドラえもんはそんなことしない。どうしてだろう?

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そもそも、ドラえもんはどうしてのび太と一緒にいるんだろう。のび太には、何の取り柄もない。得意なことと言えば、昼寝とあやとりくらい。テストはいつも0点だし、ジャイアンやスネ夫にはいじめられてばかり。そんなのび太なのに、「ドラえも~ん!助けてぇ~~~!」と泣きついてばかりののび太なのに、どうしてドラえもんは一緒にいるんだろう。

答えは、カンタン。ドラえもんがのび太を好きだから。だから、のび太と一緒にいるの。弱虫のび太だけど、泣き虫のび太だけど、一緒にいるの。心細いときは、励ましてくれる。困っているときは、助けてくれる。弱っているときは、力づけてくれる。倒れてしまったときは、抱き起こしてくれる。

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だから、のび太は冒険できるの。弱虫のび太だけど、泣き虫のび太だけど、ドラえもんが一緒だから。冒険だから、時には危険なこともある。ドキドキもする。でも、ワクワクもするんだ。ドラえもんが一緒だから、楽しめるんだ。

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イエス様もね、みんなと、キミと一緒に冒険がしたい!と思ってくださっているんだよ。ただ単に、「あと○年経ったら、あなたはこうなります。その後、こんなふうになって、こーなってあーなって・・・」ってストーリーを明かすんじゃなくて、一緒に味わいたいと思ってくださってるんだ。そしてね、大切なときにはちゃんと教えてくださるの。「この道を行きなさい」、「これが正しい答えだよ」、・・・ってね。

わたしは道であり、真理であり、命である。(ヨハネ 14:6

I am the way and the truth and the life. (John 14:6)

キミの人生も、冒険のようかもしれない。嬉しいこと、楽しいこと、わくわくすること。悲しいこと、苦しいこと、ビクビクすること。でもね、忘れないで。イエス様はいつもキミと一緒にいるよ。キミを励ましてくれる。助けてくれる。力づけてくれる。抱き起こしてくれる。

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イエス様とキミの大冒険。まだまだ始まったばかり。道であり、真理であり、命であるイエス様と一緒に、歩んでいこうね!!!

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